« サンフレさらに加速中 | メイン | 蒸し暑い日でした。 »

2018年4月26日 (木)

衣笠さん、逝かれる

皆さん、こんにちは。今日は天気は良かったですが、少し肌寒かったですね。予報では今日が雨ということでしたが、昨日が雨降りでした。しかも結構な大雨で、びしょ濡れになられた方も多かったのではないでしょうか。そしてこの雨は、衣笠祥雄さんをお見送りする雨だったのでしょうか。広島カープの初優勝、そしてその後の第1次黄金期を支えてきた、元広島カープ、背番号3番の衣笠祥雄さんが、4月23日、大腸がんのためお亡くなりになりました。71歳という若さでした。衣笠さんは、京都平安高校では捕手として甲子園に2度出場し、1965年に広島カープに入団。1968年から一塁手として一軍レギュラーに定着。1974年までの背番号28と、父親譲りの(アフリカ系アメリカ人)強い肉体から、「鉄人(横山光輝の漫画『鉄人28号』より)」の愛称で親しまれていました。1975年、ルーツ監督の元、三塁にコンバートされ、山本浩二さんと、4、5番を打ち、中軸打者として活躍されました。その年のオールスターゲームでは、その山本浩二さんと衣笠さんで、2打席連続アベックホームランという快挙を成し遂げ、それ以後、恐怖の赤ヘルとして、注目され始めました。そしてその年、広島カープは念願の初優勝を果たしたのでした。また、連続試合出場の世界記録を樹立(今は世界2位となっていますが)されていますが、その過程には、巨人の西本投手の死球による肩甲骨骨折などという、大きな怪我もありました。普通は傷がいえるまで休んで治療に専念だと思いますが、その翌日にも代打で出場し、フルスイングで三振するなど弱音をまったくはかない人でした。その三振の思いは、1球目はファンのため、2球目は自分のため、3球目は死球をぶつけた西本投手のため、と語ったとも言われており、その男気に感動しました。また、同僚、後輩にも常に優しく接しておられたようで、多くの選手のコメントからもそのお人柄がしのばれます。生え抜きなのに、コーチにも監督にも声がかからなかったのには、何かあるようですが、不満も言わず、野球に関わり続けた衣笠さん、お亡くなりになる数日前もテレビの解説をしておられたとのこと。本当に野球が大好きで、野球とともに人生を歩まれたのですね。ある意味で、理想に近い人生だったように思います。ご冥福をお祈りいたします。

そのこともあってか、カープは苦手のDeNAに対し、敵地で2連勝しました。昨日は5年目の中村祐太投手がしっかり投げ、しっかり打ちました。9回1アウトまでこぎつけましたが、そこから2連続四球をだし、中崎投手に交代、後続をぴしゃっと抑えてもらい2勝目です。ただ、降板した後も目を真っ赤にしており、ヒーローインタビューでも悔しさを口にしていました。彼にとっては、完投ができなかったことが悔しかったのでしょう。こういうより高みを目指すメンタルが、今後の成長により良い効果をもたらすのだと思います。最近、若い投手の活躍が少し物足りなかったので、これからバリバリ頑張ってほしいと思います。そして今日は、3年目の岡田投手が頑張りました。打線も、今DeNAの投手では乗りに乗っている、防御率1点台の京山投手から2回までに7点を取り、ノックアウトしました。その後少し追加点を取りましたが、あとはしりすぼみ。後半少しDeNAに追いつかれはしましたが、前半の貯金がものを言って、岡田投手は7回まで投げ3勝目をマークしました。これも衣笠さんへのはなむけなのかもしれないと思ったりしています。

一方サンフレはついに黒星を喫してしまいました。しかも、今まで8試合で2失点だった守備がほころび、1試合で3点も取られる始末。しかし、いつまでも勝ち続けることはできませんので、今回の失点、敗戦を教訓に、さらなるブラッシュアップをして、優勝目指して頑張ってほしいです。