大坂選手 おめでとう
皆さん、こんにちは。土曜日はこの冬一番の大雪でした。朝から結構大きな雪が降ってきて、当院の駐車場が真っ白になっていた時間帯もありました。こんな時は外出時、転倒、スリップなどに特に気を付けたいですね。帰宅は19時過ぎでしたが、その時も本当に寒かったです。ところが、今日は一変して朝から青空がのぞいていました。昼も気温は少し低めでしたが、明るく晴れており、こんな天気なら少々寒くても楽しい気分になれました。今週は木、日が雨が降りそうとのこと。最低気温が4度なので、雪は降らないと思いますが、少し北に行くと雪になるかもしれませんね。自動車を運転される方は、スタッドレスタイヤにして、安全運転でお願いします。
昨日、すごくうれしいニュースがありました。そうです、大坂なおみ選手が、全豪オープンで優勝し、グランドスラムの大会で前の全米オープンに続いて連勝しました。しかも、アジア人初、もちろん日本人初の世界ランク1位となりました(パチパチパチ)。本当スゴイ快挙です。実は帰宅したときには、セットスコア1-1で、最終セットを戦っていました。時々TVで試合を見るものの怖くて見られず、別の番組を見ていたところ、緊急速報で優勝が告げられ、安心してNHKに戻したのでした。その後優勝セレモニーや試合のVTRを見ましたが、彼女は試合が終わって挨拶するときに、いつもちょこんと礼をしています。とても日本人ポイ感じがして、とても好きになりました。またスピーチがいつもかわいいですね。自分はスピーチは上手でないので、頑張って話します、とか自然体で、無理をしていい恰好をしようとしないところが、世界的に好かれている理由だと思います。また、人への感謝の気持ちを忘れないところ、さらなる高みを目指そうとするところなど、前向き、努力家であり、進歩していく人なんだなと感じました。2014年世界ランキング238位でスタートし、143位→40位→44位と着実にステップアップ、2018年には全米オープンを制覇し4位まで上がりました。そしてついに世界1位になりました。それでもまだ進化できる、しないといけないと思っているようです。その気持ちがあれば、もしかしたらグランドスラムも夢ではないかもしれません。謙虚に頑張ってほしいです。
(中国新聞より転載しています)
大坂なおみ選手は、お母さんの環さんが日本人、お父さんのフランソワさんがハイチ出身で、4歳のころに生まれ育った大阪からアメリカに移住しています。今も二重国籍をもっているようです。大会にはどちらの国民として出場するかは彼女が決められますが、日本語があまり得意でないし、日本にほとんど住んでいないにもかかわらず日本国籍で出場しているのが少し不思議でした。それが今日の記事で少しわかりました。一つ目は、おじいちゃんが大好きなことでした。環さんの父親は現在も北海道に在住ですが、全豪準々決勝の勝利後のインタビューで「おじいちゃん、お誕生日おめでとう」のメッセージを贈っていました。
もう一つの理由、これが心に響きました。13年9月の東レ・パンパシフィック大会の時に、日本テニス協会の女子代表コーチだった吉川真司氏(40)が、日本登録で出場していた選手をくまなくチェックしていた際に見つけたのが、予選1回戦で敗れた当時15歳の大坂選手でした。すごい才能だと思った吉川コーチは、当時の女子代表監督だった村上武資氏、植田実強化本部長に大坂選手の存在を報告し、それ以来、大坂選手が日本に来たときは、味の素ナショナルトレーニングセンター(「スポーツ振興基本計画」(2000年9月文部省告示)を受けて設置されている、日本のトップレベル競技者用トレーニング施設)で練習できるように取りはからうなど、地道な支援を続けてきたとのことです。吉川氏も代表コーチとして大会に派遣され、大坂選手が出場していれば必ずコンタクトを取り続けました。一方、アメリカのテニス協会には、支援を申し込んでも対して取り合ってくれませんでしたが、2016年、全豪で予選を抜け、本戦で3回戦に進んだ時に、アメリカの協会から多額の支援など猛アタックを受けたようです。しかし、父のフランソワさんが、無名の時から支援を続けてくれた日本に恩義を感じて、日本人として登録し続けるというのがその理由と、インターネットにありました。大坂選手はシャイですし、本人も、メンタリティーは日本人に近いと思っているらしく、義理がたく、まじめな所や、上に述べたような、ちょこんとお辞儀するところ、昨日のセレモニーでの正座などを見ても、間違いなく日本人の血が入っているなと感じたのでした。だからなんだと言われるかもしれませんが、私はこのことをとてもうれしく感じたということです。
同じような話は、ウサインボルト選手にもあったと思います。スポーツシューズメーカーのプーマがボルトの母国ジャマイカ・オリンピック委員会の公式スポンサーとなったのは2001年。ボルト選手は、2002年の世界ジュニア選手権大会の200メートルで最年少の金メダリストとなった際もプーマを着用していて、2003年にはプーマと契約しました。以後、世界記録を次々塗り替えても、ずっとプーマのシューズを履いており、レースが終わると脱いでキスをしたりして、すごくTVなどに映るように行動しています。これも、無名時代からサポートしてくれたプーマに対する恩義を感じているからだというのを聞いたことがあります。こんな義理がたい人って私は好きです。
最近、丸選手の人的補償で巨人から来た長野選手の人気がうなぎ上りですね。アメリカのトレーニングから帰って来たときの報道でも、気を使って人生初の赤いネクタイをしたり、最初のフレーズを噛んでしまって、もう一回お願いしたりとおちゃめな所を見せていました。町でも、すでにファンになっている人が多くいますね。ユニホームはまだ売り出されていないものの、問い合わせはすごくあるようです。いきなり大活躍とはいかないと思いますので、当初は暖かく見守っていくのがいいのではないかと思います。それでも、活躍が見たいものです。
それに関連して、G党から鯉党に鞍替えしているファンの方も多いと聞いています。あれだけ巨人ラブで、2度の他球団からの誘いを蹴って大好きな巨人に入団し活躍していたのに、プロテクトから外していたとは。カープは金がないので、2億越えの長野選手を取りに来ることはない、年齢も上だし、とカープを甘く見ていたに違いありません。なんだか、長野選手が大活躍して、4連覇しそうな気がしてなりません。今年もいけいけカープ!!
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